『新編高崎市史 資料編4 中世2』
刊行情報
A5版 本文838ページ 平成6年刊行目次
概説第1部 編年資料
鎌倉時代治承4.9.30 新田義重が寺尾城にこもり「自立の志」を示す
治承4.12.12 山名義範は源頼朝が大蔵御所に移るのを護衛する
治承4.12.22 新田義重・里見義成が源頼朝のもとに参る
治承4.12.24 木曽義仲が上野国を去って、信濃に帰る
寿永2.3 源頼朝が木曽義仲と不仲となり、板鼻まで討手を差し向ける
元暦元.1 源義経・範頼の軍勢が京都に入る
元暦元.1 義仲軍と義経軍が京都四条河原において合戦する
元暦元.1 木曽義仲が粟津での合戦に敗れる
元暦元.2 源義経・範頼軍が平氏を追って、京都をたつ
元暦元.2.5 源範頼・義経の軍勢が摂津国に到着する
文治元.8.16 山名義範が伊豆守に任ぜられる
文治元.10.24 源頼朝が勝長寿院において供養を行う
文治4.3.15 鶴岡八幡宮で大般若経供養が行われる
文治5.7 源頼朝の軍勢が奥州合戦のために鎌倉を出発する
建久元.11.7 源頼朝が御家人を従え、京都に入る
建久元.11.11 源頼朝が石清水八幡宮に参詣する
建久元.12 上野国国府が榛名寺領内への健児所・検非違所の使者の入部を停止する
建久2.1.1 幕府が[おう]飯の儀を行う
建久2.1.11 源頼朝が鶴岡八幡宮若宮に参詣する
建久2.2.4 源頼朝が二所詣に出発する
建久2.3.3 鶴岡八幡宮で法会が行われる
建久2.7.28 山名義範・里見義成が源頼朝の新御所移徒に護衛をする
建久3.7.27 山名義範が勅使をもてなす幕府酒宴に参加する
建久3.8 伊勢神宮神主が玉村御厨などの神領の報告を行う
建久3.11.25 山名義範が源頼朝の永福寺供養に供奉する
建久3.12.5 山名義範らが若君(後の実朝)誕生を喜ぶ
建久4.3.21 頼朝は、狩猟に馴れ弓に長じ謀反の疑いのない里見太郎ら22人を選び、那須・三原の狩りに出発する
建久4.5 山名義範・里見義成らが頼朝の富士巻狩に供をする
建久4.5.15 富士巻狩の時、里見義成は遊君別当に任命される
建久4.9.11 山名義範が箭祭餅の儀式に出席する
建久5.2.2 山名義範が北条泰時の元服に出席する
建久5.8.8 山名義範・里見義成が頼朝の相模国日向山参詣に従う
建久5.閏8.1 里見義成らが頼朝の三浦での小笠懸に射手を勤める
建久5.11.13 山名義範らが足利義兼の鶴岡八幡宮における両界曼茶羅供養に出席する
建久6.3.10 山名義範以下西毛の御家人が頼朝の上洛に供奉する
建久6.3.12 山名義範・里見義成らが頼朝の東大寺供養の供奉人となる
建久6.5.20 山名義範・里見義成らが頼朝の四天王寺参詣に従う
建久6.6.3 山名義範が頼家の参内に供奉人として従う
建久6.8.15 山名義範が頼朝に召されて鶴岡八幡宮の放生会に出席する
建久6.10.7 山名義範が頼朝の供奉人として鶴岡八幡宮臨時祭に従う
建久8.3.23 里見義成らが頼朝の信濃善光寺参詣に随兵として従う
元久2.1.30 この日出された関東御教書に、安達景盛が板鼻八幡宮預所として安居頭役を前年勤めたことがみえる
元久2.6.22 上野国守護安達景盛と配下の飽間太郎・玉村太郎・与藤次らが畠山重忠謀反鎮圧に向かう
建保3.10.24 順徳院の名所百首を詠んだ歌集の中に佐野が選ばれる
承久3.5.22 綿貫次郎三郎が京都へ向かう幕府軍の一人尾藤景綱の被官として従う
承久3.6.18 承久の乱が勃発し、寺尾・嶋名氏などが戦陣に加わる
安貞元.6.22 並榎の堅者定照の訴えにより、山門所司が、法然廟所を破壊する
暦仁元.2.17 倉賀野兵衛尉らが将軍九条頼経の上洛の供奉をする
寛元3.5.11 渋谷定心が大類などの所領を子息に譲り、公田の配分を決める
建長元.10.30 安達義景が石原郷内在家一宇などを三善康尚の所領と交換する
建長2.3.1 山名一族が京都閑院殿の造営に対し築地垣形1本を寄進する
建長2.10.20 渋谷定心が再び子息らに所領を譲り、公田の配分を決める
建長3.6.5 幕府が引付衆を六方とし、山名行直・同俊行をおのおの2番・4番に加える
建長3.6.20 幕府が引付衆を三方とし、山名行直・同俊行をそれぞれ2番・3番とする
建長4.4.30 幕府が引付衆を五方とし、山名行直・同俊行をそれぞれ1番・4番とする
建長5.12.22 幕府が引付衆を四方とし、山名行直・同俊行を1番・4番とする
建長6.12.1 幕府が引付衆を五方とし、山名行直・同俊行をそれぞれ1番・4番とする
正嘉元.閏3.2 幕府が山名俊長・同行忠を引付奉行人に加える
正嘉2.3.1 永野次郎太郎等が将軍二所詣に供奉する
弘長元.3.20 引付衆の4番・5番の奉行人として山名俊行・行直がみえる
弘長元.12 八幡荘内に居住する友澄入道が銅製阿弥陀如来像をつくる
文永5.2.10 榛名厳寺の鐘が鋳造される
建治元.5 鎌倉幕府が京都六条八幡宮を造営するが、上野国御家人和田氏・長野氏等もこれに協力する
建治3.8.29 山名行佐・同直康がそれぞれ問注所寄人・合奉行人となる
弘安10.7.16 院評定において玉村保について議せられる
正応年間 西上野の市庭において、守護代従者と信濃国御家人小諸太郎の下部.下女とが争う
永仁6.12.25 総社大明神神主赤石中清が神名帳を書写する
正安2.11.22 浄阿が板鼻において他阿弥陀仏に会い、問答の末、弟子となる
正安3.8 この頃宴曲抄が編集され、山名・倉賀野・豊岡などの地名がみえる
嘉元元.4.11 昭訓門院の出産に際しその饗宴の儀が定められる
正和元.8.18 平忠綱が譲状を作成する。その中に山名又二郎がみえる
正和3.閏3.15 成田長信と同宗家・宗員が奥平村を争い、この日和与する
文保2.11.12 幕府は、山名郷内在家を矢嶋泰行が買得したことを公認する
元応2.3.7 幕府は、山名郷内の畠地を矢嶋泰行が買得したことを承認する
元享3.2.18 沙弥願智が榛名神社に鉄灯籠を造立する
元享3.4.14 頼印僧正が誕生する
元享3.6.20 多胡氏家の所領が金沢称名寺に寄進される
嘉暦2.12.21 僧弘真が東長大寺の秘法を書写する
元徳元.12.22 長井道可が佐野郷等の所領を嫡子貞頼に譲る
鎌倉末期 小代伊重が倉賀野八郎公行のことなどを子息等に伝え置く
南北朝時代
正慶2 山名氏・寺尾氏・和田氏らが楠木正成討伐軍に加わる
正慶2.5.5 新田義貞ら新田一族が八幡荘に参集する
正慶2.5.15 正慶2.5.18 飽間一族が武州分倍河原合戦で戦死する
正慶2.5 山名氏らが義貞軍に加わり鎌倉合戦に参加する
正慶2.5.21 山名氏らの新田軍が稲村ヶ崎から鎌倉に侵入する
建武元.3.19 小林重政が大塚郷等の地頭職を承認される
建武3.1.7 山名某らの新田軍が京都大渡で足利軍と戦う
建武3.4.23 板鼻で足利方の佐野義綱らが新田軍と戦う
建武4.11.2 室町幕府は上野国守護上杉憲顕に八幡庄以下の事について命じる
暦応元.閏7.2 山名・里見氏らの新田軍が越前に集結する
暦応元.12.21 藤原亀乙丸昌助が東覚寺に梵鐘を寄進する
暦応2.8.16 里見某・山名某ら新田一族が北朝方と戦う
暦応3.9.13 小幡宮内左衛門尉代官氏泰・和田次郎左衛門尉代官盛行が、高尾村地頭職を熊谷直経代官に打ち渡す
暦応3.10.22 和田基業が高尾村を熊谷直経代官に渡したことを報告する
暦応3.11.19 重弁らが、山名時氏の命により大輔阿闍梨祐賢に所領を寄進する
暦応4.6 小林重政が上杉憲顕に従い、南朝方と戦う
暦応4.8.25 沙弥蓮性が、上野国高尾小太郎跡を熊谷直経方に沙汰付けられなかった旨を幕府奉行所に報告する
貞和元.8.29 山名時氏・寺尾新蔵人らが天竜寺供養に向かう足利尊氏の行列に加わる
貞和2.11.26 渋谷定円が大類の田畠在家などを重勝に譲る
貞和3.8.18 上野国芝塚郷が足利赤御堂に寄進される
貞和4.1.3 白旗一揆が高師直に属して四条畷合戦に向かう
貞和5.8.25 長井貞頼が次女ねす御前に佐野郷の在家屋敷田畠を譲る
貞和5.8.28 足利尊氏が真下重氏に山名郷の在家一宇を与える
貞和5.8.28 足利尊氏が小林重連に高山御厨大塚郷などの所領を宛て行う
観応元.12~観応2.1 大類弾正らが薩[た]山にて合戦する
観応2 上杉憲顕が宇都宮氏綱と板鼻で戦い敗れる
文和元.2.16 足利尊氏が安保泰規に武蔵国秩父郡内寺尾次郎跡などを宛て行う
文和元.3 足利尊氏が小林重郷に右京亮を名乗ることを認める
文和元.5.29 足利尊氏が小林重有に綿貫保の内の所領を宛て行う
文和2.3.8 頼印が榛名山座主職となる
文和2.3.19 足利尊氏が世良田長楽寺普光庵に大類五郎左衛門尉後家尼了覚知行の土地を寄進する
延文2.9 小幡行綱の妻有道氏女が島名郷の所有権を主張する
貞治元.2.21 畠山国清の乱がおこり、白旗一揆・上野藤家一揆・和田宮内少輔らが岩松直国とともに出陣を命じられる
貞治元 岩松直国が本領を還補されたことを謝して、頼印僧上に丹生郷慈悲寺の別当職を与える
貞治2.6 板鼻において、宇都宮勢と上杉勢が合戦する
貞治3.1.23 上杉憲顕が鎌倉の円覚寺正続院に八幡荘鼓岡村の半分を寄進する
貞治3.1.28 上杉憲顕が円覚寺に八幡荘内の鼓岡村内の地を寄進する
貞治3.3.12 関東管領上杉憲春が山名八幡宮に所領を寄進する
貞治3.3 山名八幡宮の7人の供僧が坊号を示す
貞治3.9.5 頼印が榛名山霊場に詣でて、地蔵護摩百座を勤修する
貞治3.12.22 山名時氏が丹波国栗作庄雑掌に下地を沙汰付けるよう小林民部大夫に命ずる
貞治4.3.5 先達若狭公に率いられた上野国の壇那らが熊野本宮に願文を捧げる
貞治5.1.29 奥平土佐法眼が山名八幡宮の別当職に補任される
応安2.7.25 大八木助之坊らが紀伊熊野本宮に願文を捧げる
応安3.3.17 源義渡が大輔律師■賢を山名八幡宮一分供僧職に補任する
応安4.6.21 比丘尼妙本が山名宿の在家一宇を山名八幡宮に寄進する
応安5.12.25 寺尾次郎左衛門が上杉能憲の申次として在京する
応安6.11.1 源一が山名八幡宮の式部阿闍梨に田を寄進する
応安7.12.30 長野郷内寺内の刑部房井範と大八木の永若禅師兵部房重盛が、熊野本宮に願文を納める
永和元.4.19 山名師義が式部阿闍梨に山名八幡宮別当職と阿弥陀堂別当職の支配権を認める
永和2.3.26 寺尾業重が主人上杉能憲の病気平癒の加持を求め頼印の所に赴く
永和2.5晦日 頼印が神勅により上杉能憲の寿命が3年延命されたことを伝える
永和2.10 円覚寺正続院文書目録に鼓岡の寄進に関する文書を記載させる
永和2.11.16 頼印が石上坊に入る
永和2.11.17 頼印が夢の中で、修行を妨げる魔を三ノ倉の鍛冶がきたえた刀で切る
康暦元.7.17 関東管領上杉憲方が上野国片山の春近を鶴岡八幡宮に寄進する
康暦元.9.14 山名八幡宮の刑部房頼尊が民部卿に神田を譲与する
康暦2.8.12 源義渡が山名八幡宮に田地を寄進する
永徳元.1.12 鎌倉公方足利氏満が小山義政追討のため、白旗一揆の出陣を将軍足利義満に求める
永徳元.11.16 上州・武州の白旗一揆が小山義政の籠る鷲城を攻める
永徳元.12.10 上州・武州の白旗一揆の攻城により、鷲城が落城する
永徳2.4.5 小山義政が再び背いたため、上州・武州白旗一揆が下野長野城を攻める
永徳3.6.1 源義安が山名八幡宮別当坊職を寄進する
至徳元.8.3 八幡の大聖寺遍照王院の大日経を遍照・淳之が観喜院で写経する
至徳3.1.11 民部房慶尊が山名八幡宮別当職を三位阿闍梨に譲り渡す
康応元.3.3 山名時義が実相房良尊を山名八幡宮別当職に補任する
明徳元.3.24 恵源が上州並榎庵において写経する
明徳元.閏3.18 恵源が並榎の天竜護国寺大蔵庵において一切経を書写する
明徳元.7.1 吽心が大聖護国寺で「聖教」を書写する
明徳3.4.29 山名季義が山名八幡宮御供料として山名郷内田一段を寄進する
室町時代
明徳3.11.26 長野郷内常隆寺の住僧井範らが熊野本宮大社に願文を納める
応永元.6.24 了悟が貝沢村聖了寺に田畠を寄進する
応永3.7.23 室町幕府が上杉憲定に長野郷などの所領を安堵する
応永3.10.18 日光輪王寺蔵の大般若経に和田郷飯塚村法幢坊がみえる
応永4.8.5 僧快位が長野本郷増長寺にて八幡宇佐宮託宣を書写する
応永4.8.18 山名時煕が讃岐阿闍梨房に山名八幡宮別当職などを安堵する
応永4.9.9 伊豆国守護代寺尾憲清が三嶋大社東大夫に鎌倉への参上を命じる
応永8.5.13 伊豆国守護代寺尾憲清に、同国三嶋社領に対する狼藉人の参上の申付が命じられる
応永8.10.7 伊豆国守護代寺尾憲清に同国三嶋社領などの役夫工米の催促停止が命じられる
応永8.10.23 伊豆国守護代寺尾憲清が三嶋社などに役夫工米の催促停止を伝える
応永9.8.19 伊豆国守護代寺尾憲清が三嶋社に同国稲梓郷などの所領を打渡す
応永10.1.16 長野郷内西柴村などの所領が上杉憲定から鎌倉明月院に寄進される
応永11.8.7 山名時煕が山名八幡宮に同郷内10貫の下地を寄進する
応永13.6.23 伊豆国守護代寺尾憲清に同国蒲谷御厨内田牛村の三嶋社への沙汰付が命じられる
応永13.閏6.15 寺尾憲清が蒲谷御田牛村を三嶋社神官に打渡す
応永13.閏6 大聖護国寺の僧源清が一切経を書写する
応永14.2.9 山名時煕が山名郷の代官に対し入部の時煩いを起すことを禁じる
応永16.閏3.9 伊豆国守護代寺尾憲清に、同国多留郷国衙職の円覚寺正続院雑掌への沙汰付が命じられる
応永16.閏3.16 伊豆国守護代寺尾憲清が同国多留郷国衙職を円覚寺正続院雑掌に打渡す
応永16.7.28 並榎の天竜護国寺宝樹坊で大般若経が書写される
応永17.11.3 長尾憲明・瀬下成忠らが府中妙見寺に梵鐘を寄進する
応永18.4.5 某が山名郷内のくもせのうなき在家を弥平子入道に年貢4貫500文で請作させる
応永19.4.20 上杉憲定が寺尾城を攻め、世良田政親らを討ち、尹良王らを追う
応永21.4.12 称光天皇即位段銭に関して、沙弥道音が伊豆国守護代寺尾憲清に書状を送る
応永21.7.23 土佐守常行が山名八幡宮に同郷内新熊野職について同社別当に書状を送る
応永22.11.9 伊豆国守護代寺尾憲清に三嶋社領同国稲梓郷内土尾近江五郎入道跡の沙汰付が命じられる
応永22.11.15 伊豆国守護代寺尾憲清が三嶋社に同国稲梓郷内土尾近江五郎入道跡を打渡す
応永23.6.3 上杉憲基が長野郷内簸輪本郷を鎌倉明月院に寄進する
応永23.8 禅秀の乱がおこり、大類氏・倉賀野氏らが禅秀方に加わる
応永24.2.9 源憲経が山名郷阿久津村舞台田2反を山名八幡宮三位法印に寄進する
応永24.3.18 源吽が八幡大聖寺の道場において了慶に印信を授ける
応永24.5.18 伊豆国守護代寺尾憲清に三嶋社領同国南条郷内浮橋村の沙汰付が命じられる
応永24.5.22 伊豆国守護代寺尾憲清が三嶋社に同国南条郷内浮橋村を打渡す
応永28 足利持氏が木部道金の申請により、榛名寺俗別当職と所領の安堵を室町幕府に申請する
応永29.5.22 鎌倉府が三嶋社領に守護代寺尾憲清を通じて役夫工米の免除を伝える
応永29.閏10.4 伊豆国守護代寺尾憲清が三嶋社の池払いの人夫の徴発を認める
応永29.11吉日 某盛光が浜河村の医音寺に鰐口を寄進する
応永31.5晦日 上杉憲実が鶴岡八幡宮に長野郷内東荒浪村の替地として2か所の所領を寄進する
応永34.11.16 亮託・思明が上手・佐谷田の百姓らの年貢減免要求を領主極楽寺に報じる
永享10.8.15 筑波潤朝が一色持重の手に加わり、武蔵府中から上野神流川に進み陣をしく
永享10.9.6 鎌倉府が円覚寺領上野国鼓岡などに禁制を下す
永享12.9.21 小林尾張守が上杉憲実に属す
永享12.12.3 上杉憲実が安保宗繁から高山近辺の報告を受ける
永享12.12.6 長尾景仲らが板鼻に着陣する
文安4.1.11 聖護院門跡道意が倉賀野門徒らの集会について大蔵坊に御教書を下す
文安5.9.27 伊豆国守護代寺尾若狭入道に同国白浜村の三嶋宮大蔵役の催促が命じられる
宝徳3.8.23 妙受禅尼のため石造塔が造立される
康正元.5.21 足利成氏が和田八郎跡を那須資持に宛て行う
康正元.6.5 越後から進出した上杉方の軍が三宮原で成氏軍を破る
長禄2.8.6 伊豆国三嶋社領の年貢について催促停止が守護代寺尾若狭入道に伝えられる
寛正元.4.28 大類五郎左衛門尉に将軍足利義政から感状が下される
寛正4.12.27 山名持豊が長宥律師を山名八幡宮別当職に補任する
寛正4 長尾景仲が将軍家より玉村15郷を与えられる
応仁2.10.8 大熊資徳が毛呂島・綱取原合戦に参陣する
文明3.5.28 大熊資徳が館林城攻撃に加わり、上杉顕定から戦功を賞される
文明3.9.17 小幡・長野氏が将軍義政から感状を下される
文明5.2.21 山名持豊が山名郷八幡宮から巻数等を送られたことに礼を述べる
文明5.11.10 木部隼人佐が伊豆・上野をはじめとする所領を幕府に安堵される
文明9.3.3 古河公方足利成氏が安保氏泰に上杉顕定の倉賀野移陣の有無を問う
文明9.5.8 長野左衛門尉為兼が武蔵針谷原合戦で討死する
文明9.7 滝御陣において、足利成氏の奏者が交替させられる
文明9.8 長楽寺住持松陰が鳥山陣から角淵河原に出て金山城に向かう
文明9.12.23 足利成氏が滝御陣を発ち、上杉勢と広馬場で対峙する
文明9.12.30 室町将軍足利義政が上杉定正に上野出兵を要請する
文明10.3.13 妙性禅尼のために石造塔が造立される
文明16.2.27 祥貞禅師が信濃龍雲寺より後閑長源寺にもどる
文明18.8 道興准后が杉本坊に逗留し烏川をながめる
文明18.9 尭恵が越後から鎌倉への旅の途中、佐野にて旅情にふける
文明19.9.13 尭恵が鎌倉から越後府中への途中、上野府中長野陣所において歌を詠む
文明年間 諸星信幸が[ばん]阿寺の要請により同寺領戸守郷のことについて倉賀野三河守に問いただす
長享2.2.30 室町幕府の管領細川政元が関東管領上杉顕定に副状を送り、太刀・金10両到来を謝し、太刀・盞・盆などを贈る
長享2.11.26 大熊資徳が上杉顕定に従い河越に出陣する
明応5.3晦日 井野・反町の人々が熊野那智大社旦那売券に見える
文亀元 長野伊予守(業尚)が室田に長年寺を開基して曇英慧応禅師を招く
文亀2.8.28 上杉顕定が板鼻海竜寺において母堂十三回忌の法事を営む
永正元.3.1 僧恵範が和田の常楽寺において両界口伝抄を写す
永正元.9.27 長野孫太郎房兼が立河原合戦で討死する
永正6.8 連歌師宗長が浜川の松田宗繁邸などに滞在する
永正7.6.12 上杉顕定が、上州一揆を率いて越後で戦い、その状況を長尾景長に伝える
永正9.10 箕輪城主長野憲業が室田長年寺に壁書を出す
永正9.10.7 小林豊前守が上野守護上杉憲房から白倉備中入道跡(旧領)を宛て行われる
永正10.4.22 上野国守護上杉憲房が小林平三の疵を気遣う
永正10.4.27 上野国守護上杉憲房が小林平三に父死亡の弔意を表す
永正10.4吉日 箕輪城主長野憲業が100疋の所領を榛名神社に寄進する
永正 .7.24 関東管領上杉顕実が長尾為景に書状を送り、関東における北条早雲の動きなどを伝える
永正年間 後閑長源寺天英祥貞和尚が信濃興禅寺の住持となる
大永2.1.10 天王大夫が古河公方足利高基との対面を許される
大永6.9.13 上杉憲寛が出陣祈祷を天王左衛門尉に命じ、この日、巻数を受け取る
大永7.11 厩橋長野方斎が総社城主長尾顕景を攻める
享禄元.1.24 白井城主長尾景誠が家来のために殺害される
天文元.5.20 某憲包が山名八幡宮鳥居造営につき指示する
天文2.2 木部・倉賀野氏らが鶴岡八幡宮再建の助成をする
天文4.4 箕輪城主長野業政が禁制を出す
天文7.6.15 上杉憲政が小林平四郎に出陣準備を指示する
天文10.7 関東管領上杉憲政が信州小県郡に攻め入る
天文11.3.3 箕輪法峯寺に関わりのある上州住人四島太郎五郎が地蔵院本堂外壁に落書する
天文14.8.17 上杉憲政が小林平四郎に河越参陣を促す
天文15.4.20 原内匠助が武蔵河越合戦に参加して討死する
天文15.4.20 倉賀野三河守が河越合戦で討死する
天文15.7.5 倉賀野中務少輔が上杉憲政の奏者を勤める
天文15.10 上杉方の倉賀野六郎・淡路守らが碓氷峠に出陣する
天文16.5.26 高井定重が上州天王大夫司職を安堵される
天文16.12.16 大聖寺の僧侶清円が大疏愚草を書写する
天文17.1.14 大聖寺の僧侶清円が『大日経疏愚草』を書写する
天文17.2.13 小林平四郎が信濃国に所領を宛て行われる
天文17.10.26 上杉憲当が小林平四郎に秋畑村を宛て行う
天文17.12.5 小林平四郎が国峰小幡氏と戦う
天文19.11.7 上杉憲政が小林平四郎の活躍を賞す
天文21.3.14 北条家が今井村の百姓が速かに帰村するよう小幡憲重に命じる
天文21.4 上杉憲政が平井城を退去し越後へ逃れる
天文22.9 後奈良天皇が上野国に宸筆心経を下賜する
弘治3.8 体光上人が句集「石苔」をまとめ、その中に長野業政の所望による句がみえる
永禄元.1.26 北条氏康が天王左衛門大夫に上州天王大夫司職を安堵する
永禄元.閏6.18 北条氏康が安中越前守に吾妻方面への出陣の準備を命じる
永禄元.11.9 小幡憲重が武蔵今井村百姓中に対して、河越への飛脚を許可する
戦国時代
永禄3.9.15 北条氏政が浦野中務丞に長尾景虎の越山を伝え、人質を倉賀野へ送ることを命じる
永禄3.10.2 正木時茂が上杉謙信に箕輪城主長野業政らが越後方の味方になったことを伝える
永禄4.2 八幡の住人成重が面頬を制作する
永禄4.6.10 近衛前嗣が厩橋城の人質のことなどを上杉謙信に申し送る
永禄4.6.21 箕輪城主長野業政が死去する
永禄4.12 上杉謙信が倉賀野左衛門五郎直行の忠信を賞する
永禄4.12.21 武田信玄が小林監物に旧領の安堵を約束する
永禄4.11.25 武田信玄が甲斐・信濃の軍勢の貫前神社における乱妨狼藉を停止する
永禄4 上杉謙信が関東出兵に参陣した武将の名簿を作る
永禄5.2.28 須田栄定は、箕輪城主長野氏が斎藤氏と上杉謙信の間をとりもったことを、長尾政景に伝える
永禄5.4.3 武田信玄が和田兵衛大夫に書状を送り、服属を求める
永禄5.6.18 和田兵衛大夫が再び武田方に協力するようにとの信玄の書状をうけとる
永禄5.9.15 武田信玄が安中の地を掌中に納めたことを、太田資矩が白川結城義親に伝える
永禄5.9.18 武田信玄が宇都宮広綱に書状を送り、西上野攻略の様子を知らせる
永禄5.9.22 武田信玄が浦野新八郎に、箕輪領内に500貫の所領を与える
永禄5.9.28 武田信玄が、貫前神社や倉賀野・箕輪の様子を観察させる
永禄5.11.11 武田信玄が浦野新八郎の忠信に対して、所領を宛て行う
永禄5.12.17 武田家が和田氏の処置について、山宮氏らに指示を与える
永禄6.2 大熊朝秀が武田信玄から、箕輪合戦での戦功をほめられる
永禄6.4.9 和田兵衛大夫が金丸若狭守とともに和田城下での戦況を武田家に注進する
永禄6.4.14 武田信玄が佐野昌綱に書状を送り、上杉氏との抗争の状況を伝え、和田からの注進によって出陣が延引したことを伝える
永禄6.4.26 武田信玄が和田兵衛大夫・金丸若狭守に書状を送り、尋問の結果を知らせる
永禄6.5.1 武田信玄が甲府留守居番の市川家光に書状を送り、3日に松井田、4日に和田に陣を移すことを伝える
永禄6.5.10 北条氏康・氏政が安保氏に佐野郷などの所領を宛て行う
永禄6.5.10 上杉謙信が太田道誉に書状を送り、和田城を囲み、和田喜兵衛を手討にしたことなどを報じる
永禄6.11.21 上杉謙信が里見義尭に書状を送り、越山を伝えるとともに西上野の状況を述べる
永禄6.12.9 甘利昌忠が木部に陣を寄せ、ここに城郭を構えることを浦野中務少輔に伝える
永禄6.12.24 武田家が貫前神社に対して、信州からの板の運送に対し、所役を免ずる
永禄6.閏12.14 某が木部城在城衆・番手衆の乱妨を禁じる
永禄7.1.3 佐竹義昭が簗田政信に上杉謙信の和田城攻撃を伝える
永禄7.1.11 武田家が貫前神社に過所を下し、番匠糧物の運搬を認める
永禄7.1.11 武田家が貫前神社神主に神供運送を許す
永禄7.1.22 武田家が梶山与三次郎に信濃の諸関での役銭を免除する
永禄7.4.13 武田勢が倉賀野付近に陣をしく
永禄7.5.1 大熊尊秀が武田信玄の命により和田・木辺・倉賀野3城を守る
永禄7.5.17 武田信玄が和田城・倉賀野城周辺の戦況を鎌原宮内少輔に知らせる
永禄7.5.27 下総の結城晴朝が白河結城義親に書状を送り、武田信玄が西上野の城を攻め落としたことを伝える
永禄7.6.2 武田信玄が冨田氏・井上氏に書状を送り、戦功を賞す
永禄7.6.14 倉賀野直行が上杉謙信の側近河田長親に書状を送り、後北条方の進攻があれば戦って撃退させることを伝える
永禄7.6.25 上杉謙信が富岡重朝に箕輪城救援のため出兵を求める
永禄7.6.27 上杉謙信が安房の里見義弘に書状を送り、倉賀野城が武田方に落ちたことを伝える
永禄7.9晦日 長野氏業が赤城神社神主に書状を送り、礼を述べる
永禄8.2吉辰 武田信玄が信濃諏訪大社・新海三神に願文をよせて、箕輪城の落城を祈願する
永禄8.3.13 武田信玄が安西伊賀守に信濃岩村田から書状を送り、倉賀野城へ向かうことを告げる
永禄8.3.16 長野氏家臣田中隼人佐が長楽寺真言院に滞留する
永禄8.4.9 上杉謙信が和田城攻めへの合力を富岡主税助に要請する
永禄8.7.22 箕輪住人某が長楽寺に赴き武田方の様子を語る
永禄8.8.2 武田信玄が和田右兵衛門大夫の働きを賞する
永禄8.8.23 上杉方が北条家の関宿進出により、和田城攻めの陣を引く
永禄8.8.25 厩橋城主北条高広が武田方の小幡谷攻撃を企図する
永禄9.2.7 武田家が貫前神社神官一宮神太郎に対して、武州筋へ通る聖のため伝馬4疋を、長根で準備するよう命じる
永禄9.5.8 武田信玄が浦野中務少輔に書状を送り、権田・室田などを攻めて長野三河入道らを討ち捕らえたことをほめる
永禄9.6.22 武田信玄が小暮弥四郎に本領安堵を約束する
永禄9.9.10 武田信玄が箕輪城を攻める
永禄9.11.2 安中景繁が板鼻長伝庵に寺領を安堵する
永禄10.3.7 長年寺の僧受連が覚書を残す
永禄10.4.29 武田信玄が高山定重に箕輪郷内などで100貫文の所領を宛て行う
永禄10.5.1 大熊尊秀が武田信玄から所領を宛て行われる
永禄10.5.4 武田信玄が小林監物に保美村倉賀野勘解由左衛門尉分などを宛て行う
永禄10.5.4 武田信玄が小林監物に綿貫郷などの替地を宛て行う
永禄10.5.5 武田信玄が安中丹後守に長野領中20貫文の所領を宛て行う
永禄10.5.5 武田信玄が瀬下豊後守に栗崎内などの所領を与える
永禄10.5.6 武田信玄が箕輪長純寺を信濃佐久龍雲寺に寄進する
永禄10.5吉日 上泉信綱が丸目長恵に兵法の達人であることを認め、極意を秘伝する
永禄10.7.1 武田家が後閑伊勢守に軍役を定める
永禄10.7.1 武田氏が安中丹後守に板鼻の内で20貫文の所領を宛て行う
永禄10.8.7 和田業繁を始めとする西上野の武将が生島足島神社に起請文を納める
永禄10.11.23 武田信玄が祢津信直に箕輪在城を命じるとともに小鼻郷などを宛て行う
永禄10.12.2 武田信玄が大井左馬允入道・同小兵衛尉に箕輪在城を命じる
永禄10 由良成繁が善・山上氏について事書を作り、北条家に差出す
永禄11.1.19 浅利信種が箕輪在城衆・番手衆に何事か指示を与える
永禄11.1.23 武田信玄が和田山極楽院に武運長久の祈祷を命じるとともに、所領を渡す
永禄11.1.23 武田信玄が極楽院に西上野年行事職を安堵する
永禄11.4.28 武田信玄が依田新左衛門尉に屋敷分30貫文を宛て行う
永禄11.5.11 武田信玄が祢宜山田与太良に神領として小鼻和郷内で56貫文の地を寄進する
永禄11.5.11 武田信玄が折田豊後に箕輪城攻めの功により、150貫文の所領を宛て行う
永禄11.6 安中景繁が長伝庵に禁制を下し、草木の刈取りを禁じる
永禄11 武田信玄が八幡八幡宮の祭祀につき下知を与える
永禄12.3.27 河田重親ら沼田在城衆が山吉豊守に書状を送り、倉賀野在陣の甲州勢が退散したことを告げる
永禄12.閏5.16 武田信玄が浅利右馬助を箕輪城に遣わす
永禄12.7.1 北条氏康が安保泰通に書状を送り、小幡三河守・長根氏を味方に引付けたことを賞する
永禄12.8.5 武田信玄が浦野民部右衛門尉に山名などで所領を宛て行う
永禄12.8.10 武田信玄が大井小兵衛尉に本郷八郎左衛門尉の知行地を与え、寄子・足軽をそえて箕輪在城を命じる
永禄12.8.26 北条氏政が由良成繁・国繁父子に書状を送り、今までの忠誠をほめ烏川南を除き上野一国を与えることを約束する
永禄12.9.7 北条氏政が上杉謙信に書状を送り、武田方の西上州衆が甲府に結集することを伝える
元亀元.3.3 北条氏康が由良成繁に上杉謙信との同盟成立を知らせる
元亀元.3.3 北条氏康が由良成繁に書状を送る
元亀元.6.29 北条氏康が北条氏邦に書状を送り、この春の西上野進攻の労をたたえる
元亀元.8.26 武田信玄が、梶山与三右衛門尉に地頭和田兵衛大夫の許諾があったことにより、和田問屋を認める
元亀元.9.7 厩橋城主北条高広が山吉豊守に書状を送り、箕輪城主内藤昌秀が武田信玄を岩村田に出迎えたことを伝える
元亀元.9.10 箕輪城主内藤昌秀が箕輪在城衆・番手衆に和田山極楽院の屋敷及び山において竹木の刈取りを禁じる
元亀元.12.5 武田信玄が倉賀野の須賀佐渡守に山本などで所領を宛て行う
元亀元.12.5 武田信玄が須賀佐渡守に倉賀野・山本などで所領を与える
元亀2.2.19 箕輪城主内藤昌秀が湯浅新七郎方屋敷の竹木の刈取りを禁じる
元亀2.4.2 武田信玄が小林松林斎に山名の替地として下大塚など100貫文の所領を宛て行う
元亀2.5.26 武田信玄が石原守親に甲斐国花輪郷で所領を宛て行う
元亀2.7.2 武田信玄が加藤与五右衛門尉に信濃国内の所領の不足分として板鼻18貫450文の所領を与える
元亀2.12.17 武田信玄側近の跡部勝資が厩橋城の北条高広・景広父子に書状を送る
元亀3.閏1.6 上杉謙信が岡谷清英に書状を送り、倉賀野での勝利を伝える
元亀3.2.12 武田信玄が堀口新兵衛に武田氏分国内で月に馬2疋の通行を許可する
元亀3.3.6 武田信玄が真田幸隆らに書状を送り、白井落城の功をほめる
元亀3.3.8 武田信玄が真田信綱に白井落城の功を賞すとともに箕輪城に移ることを命じる
元亀3.6.19 武田信玄が浦野新八郎に山名郷の内100貫文の替地として多比良領内で60貫文の地を宛て行う
天正2.3.27 倉賀野尚行が上杉家臣吉江資堅らに書状を送り、善城で謙信の使者に会見したことを伝える
天正2.3.28 津野久信定が上杉家臣吉江資堅に書状を送り、善城で謙信の使者との会見に遅れたことを謝る
天正2.3 「大井庄由来」「佐久大井氏由来」が書かれ、その中に同氏の所領として板鼻がみえる
天正3.3.24 武田勝頼が安中景繁に4月1日に出馬するので、同月3日に諏訪上原で合流するよう命じる
天正3.4.13 武田勝頼が箕輪在城の内藤昌秀に上野出陣を告げる
天正3.9吉日 武田勝頼が新井一族中に筑後守・惣右衛門尉の官途を認める
天正3.11.21 織田信長が長篠合戦に勝利し、上野の軍兵も多く討ち果たしたことを佐竹義重に伝える
天正4.2.24 武田勝頼が信濃龍雲寺に対し、配下の長純寺領の諸役免除を認める
天正4.3.27 武田勝頼が瀬戸神十郎に対し信濃海野で15貫文の所領を与えて箕輪在城を命じる
天正4.5.5 武田家が良清に延養寺の再興を認め、多比良普賢寺・光明寺などを末寺として出仕させることなどを認める
天正4.6.17 武田勝頼が極楽院に対し、当年中に西上野から上洛する山伏の差配を命じる
天正4.6.17 武田勝頼が極楽院に所領を安堵する
天正4.8.7 武田勝頼が西上野長吏職と砥坂の支配を助左衛門に安堵する
天正4.11.20 武田勝頼が大井小右兵衛尉に金井淵などで79貫文余の所領と籾743俵余を宛て行う
天正5.3.27 小幡信真が一族と武田勝頼の繁栄を願って鰐口を奉納する
天正5.4.27 武田勝頼が小林斎に対し息女への所領譲渡を認める
天正5.6.21 武田勝頼が下曽根賢範に信濃から上野宇津木まで俵50俵を搬送することを認める
天正5.6.21 武田勝頼が下曽根賢範に信濃から松井田まで籾を搬送することを認める
天正5.7.3 武田勝頼が武蔵不動院に対し、西上野で同院支配の山伏に違乱があった場合、言上するよう命じる
天正5.閏7.10 武田勝頼が反町大膳亮に遠江鳶巣における活躍をほめて感状を与える
天正5.11.24 武田勝頼が小林斎に森郷内で主人のない人々を召し使っていたのを再び許す
天正5.12.23 上杉謙信が上杉家中の名字を書きあげ、その中に倉賀野氏の名がみえる
天正6.4.8 足利義氏が長野信濃守に書状を送り、上杉謙信の死去を伝える
天正6.8 北条家が石倉・牧・川上に禁制を掲げる
天正6.10.9 上杉謙信が厩橋城主の北条高広に上越国境に進出した北条氏政の動向を伝える
天正6.12.15 武田勝頼が浦野民部助の知行多比良内などにおいて竹木の刈取りを禁じる
天正7.2.9 内藤昌月が瀬下隼人に書状を送り、14日の箕輪着城を伝える
天正7.2.20 武田勝頼が後閑家の家督について弥太郎と善次郎に各々500貫文ずつ分割することを認める
天正7.4.3 武田勝頼が後閑弥太郎に後閑のうち500貫文の地を安堵する
天正7.8 僧全海が板鼻称名寺で宗要集松吟を書写する
天正7.9.17 武田勝頼が安中七郎三郎に書状を送り、駿河において、北条家との妥協が成ったことなどを伝える
天正7.11.12 武田勝頼が宇津木氏久に所領を宛て行う
天正7.11.16 武田勝頼が跡部勝忠に覚書を遣わし、倉賀野城米の移送を命じる
天正7.11.22 武田勝頼が小林斎に所領を宛て行う
天正7.12.28 武田勝頼が宇津木氏久に玉村などで281貫文の所領を宛て行う
天正8.1.4 北条氏政が前月28日の宮古嶋衆と倉賀野衆との合戦における吉田政重の戦功を賞する
天正8.3.6 北条氏邦が金井源左衛門尉に西上野などで所領を与える
天正8.3.20 内藤昌月が高山定重に海沢(貝沢)などで400貫文の所領を与える
天正8.3.27 武田信綱(逍遥軒)が大屋助之丞に木辺八幡崎における戦功をほめ、感状を与える
天正8.3.28 北条氏邦が新井主水太郎に倉賀野・八幡崎合戦における父入道の討死を悼み、感状を与える
天正8.閏3.25 和田信業が天王左衛門大夫に天王大夫司職を安堵する旨を伝える
天正8.4.12 武田勝頼が上野天王大夫司職を伊東大夫にかえて、天王左衛門大夫に補任する
天正8.5.15 和田右兵衛大夫信業が熊野社造替料を寄進する
天正8.6.6 武田家が須賀佐渡守に烏川辺における戦功を賞して所領を宛て行う
天正8.6.20 和田昌繁が佐藤十介に軍功をほめる
天正8.9.3 尾崎重元が西上野の武田氏被官に年貢徴収について変更を伝える
天正8.9.24 北条長綱が小林松林斎の来訪を感謝するとともに、5か条の覚を与える
天正8.10.10 武田勝頼が宇津木氏久にこれ以後の忠節に対し、所領を与えることを約束する
天正8.11.22 武田信豊が波合備前助に書状を送り、東上野出陣の経過を告げる
天正8.12.1 北条氏邦が長谷部備前守に塩荷の押取りを命じる
天正8.12晦日 武田家臣小山田昌成が和田昌繁に軍功を謝す
天正9.1 和田昌繁が佐藤十弥に所領を宛て行う
天正9.8.27 武田勝頼が和田信業に和田宿の六斎市の日取りを認める
天正9.11吉日 上杉景勝が橋爪二郎右兵衛尉に堪忍分として山室内の地を宛て行う
天正10.1.20 武田家が祢宜山田宮内助に神領として小鼻輪郷内の6貫500文の地を寄進する
天正10.2.20 北条氏政が同名氏邦に西上野などへの出陣の準備を命じる
天正10.2.21 北条氏邦が山崎弥三郎に三波川における活躍をほめる
天正10.2.28 北条氏邦が宇津木氏久に書状を送り、箕輪城に入ったことを告げる
天正10.3.12 北条氏邦が信濃上田城主真田昌幸に、箕輪城や和田氏の動向を知らせる
天正10.3.13 結城晴朝が那須氏に書状を送り、北条氏邦が倉賀野城に進んだという風聞を伝える
天正10.3.14 斎藤定盛が天王左衛門大夫に天王大夫司職の安堵について北条氏邦に披露したことを伝える
天正10.3.17 織田信長が武田家滅亡を宮内卿法印に伝える
天正10.4.2 長尾輝景が双林寺に上白井猪熊11貫560文の所領を安堵する
天正10.4.16 滝川一益が安房里見氏に書状を送り、箕輪城に在城していることを告げる
天正10.5.17 滝川一益が小林松隣斎に豊岡郷50貫文の地を宛て行う
天正10.5.23 北条氏邦は大道寺政繁に、滝川一益が厩橋に在城していることを伝える
天正10.5.24 滝川一益が常陸の梶原政景に書状を送り、政景が倉賀野淡路方に書状を寄せたことに感謝する
天正10.5 滝川一益が安中町に伝馬定を出す
天正10.6.19 滝川一益が北条氏邦・氏政の軍と神流川で戦い、敗れて上野を退去する
天正10.6.20 天徳寺宝衍が佐竹義重に神流川合戦の模様を伝える
天正10.6.21 北条氏邦が神流川合戦において篠岡勘十郎を討ち捕えた功により、岩田河内に感状を与える
天正10.6.29 北条家が北条氏邦に安中領内での陣中伝馬の整備を命じる
天正10.6 倉賀野などで滝川一益と北条氏直が戦う
天正10.7.1 某安芸守が後閑下野守に巣鷹の到来を感謝する
天正10.7.9 北条家が日置五左衛門尉に小鳥郷を宛て行う
天正10.7.18 黒沢繁信が金山在城衆に書状を送り、早々の出陣により萩原で合流することを伝える
天正10.7.19 北条氏直が碓氷峠から信濃に攻め入る
天正10.7.26 大熊重利が北条家から所領を宛て行われる
天正10.8.16 北条氏政が太田備中守らに書状を送り後北条方の軍勢が箕輪原に陣取ったことなどを伝える
天正10.9.28 徳川家康が真田昌幸に長野氏遺領を宛て行う
天正10.11.5 倉賀野淡路守が小諸当番として軍役負担を命じられる
天正10.12.9 武蔵国比企郡奈良梨に北条家の伝馬掟が出され、西上野までの伝馬が整備される
天正10.12.13 為景清春が自宅公に長伝庵を寺領とともに譲り与える
天正10.12.23 北条氏直が天王左衛門大夫に上州天王大夫司職を安堵する
天正10.閏12.26 北条家が倉賀野伝馬掟を定める
天正11.1.7 鉢形城主北条氏邦が小鼻輪稲荷に関係する武田勝頼印判状を小田原に提出する
天正11.1.9 北条氏直が和田左衛門尉に倉賀野治部少輔分所領を安堵する
天正11.1.11 北条氏直が後閑刑部少輔に後閑の所領を安堵する
天正11.1.11 北条氏直が後閑宮内少輔に本領後閑の地を安堵する
天正11.1.12 北条氏直が極楽院に下箕輪・前和田の所領を安堵する
天正11.2.13 北条氏邦が榛名神社に定書を下す
天正11.2.28 北条家が両後閑氏に軍役を命じる
天正11.2.28 北条家が和田左衛門尉に対し着到を定める
天正11.3.2 北条家から佐藤助丞に軍役を守って働くべきことを命じる
天正11.3.22 北条家が天王左衛門大夫に、妨害がある場合は小田原に訴えるよう命じる
天正11.4.3 北条家が木部宮内助らに出陣を命じる
天正11.4.4 北条家が松井田衆らに小諸への城米運搬を命じる
天正11.4.18 北条家が新保郷百姓に対し同郷を御料所とすることを伝え、異論を禁じる
天正11.5.3 北条氏直が和田昌繁・信業に出陣の準備を命じる
天正11.5.10 和田信業が飯嶋小次郎に所領を宛て行う
天正11.5.16 糟尾法眼寿信が同名養信斎に書状を送り、箕輪で氏邦発病の時、養信斎調製の薬が効果を表したことなどを伝える
天正11.5.17 北条氏邦が垪和康忠に書状を送り、赤見入道のこれまでの忠節により、松井田御料所の内2貫文を与えたことを伝える
天正11.6.4 北条氏邦が板鼻上宿町人衆中に掟を定める
天正11.6.20 北条高広が瀬下采女佐に20貫文の所領を与えるとともに、この秋には総社を奪い取ることを告げる
天正11.7.20 和田信業が飯嶋小次郎に所領を宛て行う
天正11.9晦日 北条家が中大類郷を不入の地と定める
天正11.11.29 北条氏照が北条高広に書状を送り、上野の処置について指示を与える
天正11.12.17 和田信業が清水寺の本堂を再建する
天正11.12.19 玉村5郷が北条家の検地を受ける
天正12.1.7 後閑氏が北条氏直から厩橋城番を命じられる
天正12.2.12 木部・和田氏らが厩橋城の在番を命じられる
天正12.2.12 北条家が松井田旗本衆中に、足利表へ出馬のため来20日までに利根川端への着陣を命じる
天正12.2.16 北条家が松井田旗本衆に対して配下の人足を大戸に移すことを命じる
天正12.3.9 極楽院が下箕輪・前和田の領地を北条氏直から安堵される
天正12.3.10 北条家が新保郷に年貢800俵の請負を命じる
天正12.7.15 北条家が木部・和田氏らに出陣を命じる
天正12.8.12 後閑氏が北条家から出陣を命じられる
天正12.8.19 後閑刑部少輔が北条氏直から利根川端への着陣を命じられる
天正12.9 僧尊応が板鼻称名寺にて長講法華経注を書写する
天正12.12.24 箕輪衆の星名小隼人佐が北条家に従い館林城攻めに参加する
天正13.2.25 箕輪在城の北条氏邦が矢野孫右衛門の出仕をほめ、威す者があった時は氏邦に申すように命じる
天正13.6.2 北条家が総社神社に掟書を下す
天正13.6.17 上杉景勝が瀬下豊後守に日頃の忠節をねぎらうとともに、越山(関東出兵)がないことを伝える
天正13.7.15 上杉景勝が、真田昌幸に対して上野長野一跡などを宛て行うことを約束する
天正13.閏8.9 北条氏邦が倉賀野・和田・板鼻等の伝馬の使用を許可する
天正13.9.6 北条家が板鼻大聖寺に掟を下す
天正13.9.10 北条氏政が神宮武兵衛に木部宮内・和田左衛門などの鉄砲衆を集めて、大戸城攻めに向かうことを命じる
天正13.9晦日 和田信業が石原作右衛門尉に加増分を宛て行う
天正13.11.9 倉賀野淡路守が北条家の西荘検地の奉行をつとめる
天正14.1.3 武蔵国入間郡入曽村の12人衆が上野鏑川陣へ出陣する
天正14.3.8 北条家が総社の鋳物師に伝馬1疋を与える
天正14.3.10 和田信業が反町庄平に寺尾の地などを宛て行う
天正14.3.20 北条家が上野鋳物師に小田原から西上野まで伝馬3疋を与える
天正14.8.18 寺尾伝左衛門信海が上杉景勝の軍に加わる
天正14.9.3 倉賀野淡路守が西荘の年貢を管理する
天正14.10.20 北条氏直が和田左衛門尉昌繁に、氏邦の命令あり次第、出陣するように命じる
天正15.2.26 那波家中の武士が北条家への人質として一族等を厩橋城へ送る
天正15.4.11 和田信業が興禅寺に全忠の十三年忌供養を命じる
天正15.4.20 新保郷百姓反町豊前が北条家に召喚される
天正15.5.3 後閑氏が北条家から松井田城普請を命じられる
天正15.5.3 北条家が佐藤主水佐・山口軍八郎らを大道寺政繁の馬寄とする
天正15.5.4 宇津木氏が北条家より箕輪城普請を命じられる
天正15.8.23 北谷百姓中が当秋の収穫物をすべて箕輪城に納めるように北条家より命じられる
天正15.8.25 飯塚和泉守が、北条氏邦から箕輪城の御用などに励むように求められる
天正15.10.1 斎藤定盛が佐藤治部少輔の本領を安堵する
天正15.10.2 和田信業が石原氏らに屋敷地等の税を免除するとともに人足などについて指示を与える
天正15.11.10 北条家が西荘から小田原までの伝馬を許す
天正15.11.20 和田信業が伊藤孫三郎に高井式部拘えの田畠を預け、年貢の弁済を命じる
天正15.12.24 宇津木氏が小田原から上野までの伝馬使用を許可される
天正16.1.4 北条家が後閑宮内大輔に厩橋城在城を命じられる
天正16.1.13 和田信業が某寺の仕置について誉斎・修理ら6名に対して何事かを命じる
天正16.1.23 北条家が後閑宮内大輔に厩橋在城に際して指示を伝える
天正16.1.27 北条家が厩橋集地百姓中に東城普請のため人足の提出を命じる
天正16.5.8 北条氏直が反町大膳亮に常陸谷田部における活躍をほめ、感状を与える
天正16.閏5.7 北条家が代官林筑前に1貫360文のうち800文分の麦33俵を厩橋城へ届け、倉賀野家吉ら代官に渡すことを命じる
天正16.5晦日 和田信業が石原作右衛門に知行の不足分の宛行を約束する
天正16.10.7 北条家が小田小太郎に所領を与え、その同心給を上野において倉賀野淡路守方などより請け取るよう命じる
天正16.10.15 猪俣邦憲が沼田城攻略を立願し、願文を作成する
天正16.12.7 倉賀野淡路守代官が厩橋城で麦を管理する
天正17.6.23 北条家が来る12月の氏政上洛予定を和田左衛門尉に伝える
天正17.7.14 北条家が安中宿に掟書を出す
天正17.8.23 大道寺政繁が福田氏・後閑氏に書状を送り、松井田新堀への移動を依頼する
天正17.9.26 倉賀野淡路守代官などが厩橋城の麦の支給を北条家から命じられる
天正17.10.24 大道寺政繁が福田氏・後閑氏及び鑓衆に江堀への着到を求める
天正17.12.5 北条家が宇津木氏に対して、倉賀野などに逃亡した百姓の召還を命じる
天正17.12.6 宇津木氏が小田原から新田への伝馬使用を許される
天正18.3.8 豊臣秀次が真田信幸に書状を送り、碓氷峠付近に陣取ったことを了承する
天正18.3.9 松井田城将の大道寺政繁が前田利家・上杉景勝に降伏意志を申し出る
天正18.3.9 北条氏政が猪俣邦憲に書状を送り、箕輪城・松井田城等の守備が固く不安のないことを伝える
天正18.4.14 豊臣秀吉が真田昌幸・信幸に書状を送り、松井田城を焼き払ったことをほめる
天正18.4.20 真田昌幸が松井田での戦闘を報告する
天正18.4.27 前田利家が依田源三に書状を送り、江木で松平康国が討死したことを伝える
天正18.4.28 豊臣秀吉が落城した箕輪城の請け取りを指示する
天正18.5.2 箕輪城などに豊臣方の人衆が配置されたことなどを伊達氏家臣片倉景綱らに伝える
天正18.5.12 豊臣秀吉が松井田在陣衆の指図など、命令を出す
天正18.5 下板鼻村などに豊臣秀吉の禁制が出される
天正18.8.3 大聖護国寺が徳川家康の制札をうける
天正18.某月24 上杉景勝が小森沢政秀に某地(板鼻か)の確保を命じる
天正19.閏1.11 極楽院鎮良が那波領の総年行事職を大輪坊に安堵する
天正19.5.13 西郷藤左衛門久方が安中宿中に伝馬掟を出す
文禄元 蒲生氏郷が佐野の舟橋を通り歌を詠む
文禄2.10朔日 井伊直政の家臣西郷久方が天王左衛門尉大夫に書状を送る
文禄3.4.27 井伊家が野尻伝馬宿中に伝馬掟を出す
文禄3 安中七郎太郎が上杉家より537石余の知行を与えられる
文禄4.1.3 秀吉の草津湯治につき、浅野幸長が箕輪城の警護に当たる
慶長元.4.5 井伊家が安中領内の鶉について定書を出す
江戸時代
慶長6.11.6 前田慶次が伏見から米沢までの旅の途上、この日坂本を発ち倉賀野宿に泊まる
慶長7.6.2 江戸幕府が安中宿の伝馬掟を定める
慶長11.4吉日 倉林重忠・金井重俊・岡田吉久らが鰐口を製作し、板鼻八幡宮へ寄進する
慶長13.4.17 里見忠重が長伝寺に板鼻で20石の寺領を寄進する
元和元.3.6 原与右衛門が、高崎に運ばれた槫を運送することを信濃筑摩郡内の13郷に命じる
元和2.11 江戸幕府が安中宿に再び伝馬掟を定める
年未詳
年末.2.6 某覚書写
年末.2.8 北条家朱印状写
年末.3.7 武田家伝馬免許状写
年末.3.13 上杉謙信書状写
年末.4.10 武田信玄条書
年末.4.10 反町業定申状案
年末.4.29 室町将軍家御内書写
年末.7.3 浦野三河守書状写
年末.8.8 武田信玄書状
年末.10.14 武田家朱印状写
年末.11.4 某印判状写
年末.11.15 和田信業条書
年末.11.15 武田晴信書状写
年末.11.17 某書状
年末.極.27 北条氏邦書状
年月末.18 和田信業条書
年月末.20 和田信業書状
年月末.23 和田信業書状
年月末.27 和田信業書状
年月末.28 和田信業条書
年月末.28 和田信業朱印状
年月日未詳 佐藤甚五兵衛等連署置文
年月日未詳 上杉氏所領目録
年月日未詳 北条家人数覚書
年月日未詳 小田原一手役書立写
年月日未詳 関東八州諸城覚書
年月日未詳 関東八州諸城覚書
年月日未詳 冨永清兵衛覚書
補遺
正応元.11.21 将軍家が小早川政景に与えた所領安堵状のなかに、山名左近蔵人景家のことが見える
正安2.3.3 幕府が市河盛房に与えた下知状に、山名下野権守盛康のことが見える
正和2.12.28 尼しんねんの譲状のなかに、上野国大八木郷のことが見える
第2部 編年によらない資料
高野山清浄心院上野国日月供名簿(1)高野山清浄心院上野国日月供名簿(2)
神道集
第3部 参考資料
軍記物1 平治物語
2 義経記
3 曽我物語(妙本寺本)
4 曽我物語
5 承久兵乱記
6 源威集
7 鎌倉持氏記
物語・謡曲
8 唐糸草子
9 鉢木
10 船橋
寺社縁起
11 八幡八幡宮縁起
12 山名八幡宮縁起
13 慈眼寺来由
14 慈眼寺寺役勤方申上帳
15 関東古義真言宗本末帳
16 慈眼寺住持録抄
17 榛名山厳殿寺役中諸用記
18 長年寺縁起並由来記
19 松井田不動寺縁起
藩記録
20 米沢藩古臣集
21 米沢藩古代士籍
22 米沢藩士先祖書
23 彦根藩侍中由緒帳
24 彦根藩侍中跡絶帳
25 井伊氏年譜
26 彦根藩諸家異譜
家譜類
27 山名家譜
28 和田記
29 反町氏由緒書
30 長野家中覚書
31 高崎近郷村々百姓由緒書
32 小板橋家親類書
系図
33 山名氏系図
34 里見氏系図
35 倉賀野氏系図
36 和田氏系図
37 綿貫氏系図
38 反町氏系図
39 清水氏系図
40 長野氏系図(1)
41 長野氏系図(2)
42 長野氏系図(3)
43 須藤氏系図
44 熊野神社所蔵系図類
1 山名氏系図
2 小林氏系図
3 塩谷氏系図
4 越生一門名字書立写
5 児玉西寺引旦那名字注文写
6 実報院諸国旦那帳
45 長源寺歴代住職
46 曹洞宗慈眼寺四哲流派本鑑
掲載日 平成29年6月13日
更新日 平成29年7月25日
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