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『榛名町誌 資料編2』

榛名町誌資料編2

刊行情報

B5版 本文389ページ 平成17年刊行

付録

中世城館ならびに中世金石文分布図

目次

第1章 中世の榛名町

概説 中世の榛名町

第2章 中世文書

第1節 資料解説
第2節 編年資料

1 鎌倉時代
治承4年9月30日 1吾妻鏡(新田義重が寺尾城に籠もり、自立の志を示す)
治承4年12月22日 2吾妻鏡(里見義成が京都より鎌倉に下向し、源頼朝の幕下に入る)
寿永2年3月 3神明鏡(源頼朝が源義仲を討つため、板鼻まで討っ手を遣わす)
元暦元年1月 4 源平盛衰記(里見氏が源範頼に従って平家追討のため京都へ向かう)
文治3年10月4日 5 吾妻鏡(里見義成が畠山重忠の下座に着座してその話を聞く)
文治4年正月20日 6 吾妻鏡(里見義成が源頼朝の伊豆・箱根・三島社参詣に供奉する)
文治4年3月15日 7 吾妻鏡(里見義成が源頼朝の鶴岡八幡宮大法会参列に供奉する)
文治4年7月10日 8 吾妻鏡(里見義成が源頼家の甲着用の儀式において献馬を引く)
文治5年6月6日 9 吾妻鏡(塔供養において丹後局が奉納した扇が里見義成らに授けられる)
文治5年6月9日 10吾妻鏡(里見義成が源頼朝の御塔供養参列の随兵となる)
建久元年11月7日 11吾妻鏡(里見義成が源頼朝の上洛に供奉する)
建久元年12月 12上野国留守所下文(上野国留守所が榛名神社の所領内への国衙両使の入部を停止する)
建久2年7月28日 13吾妻鏡(里見義成が源頼朝の転居に際し随兵となる)
建久3年10月19日 14吾妻鏡(里見義成が源頼朝第二子千幡(実朝)の幕府入りに供奉する)
建久4年3月21日 15吾妻鏡・16曾我物語(里見義成が源頼朝の下野那須野・信濃三原の狩りに供奉する)
建久4年5月8日 17吾妻鏡(里見義成が源頼朝の富士野の狩に従う)
建久4年5月15日 18吾妻鏡(里見義成が源頼朝から遊君別当に任じられる)
建久4年5月29日 19吾妻鏡(里見義成が工藤祐経を討った曾我時致の尋問に立ちあう)
建久5年正月1日 20吾妻鏡(里見義成が■飯の儀式において御剣を持つ)
建久5年2月2日 21吾妻鏡(里見義成が北条泰時の元服の儀式において御剣を持つ)
建久5年4月4日 22吾妻鏡(里見義成が鶴岡八幡宮神事に使者として御幣を奉る)
建久5年8月8日 23吾妻鏡(里見義成が源頼朝の相模国日向山参詣に従う)
建久5年閏8月1日 24吾妻鏡(里見義成が源頼朝の面前で小笠懸の射手をつとめる)
建久6年3月10日 25吾妻鏡(里見小太郎が源頼朝の東大寺供養参詣に供奉する)
建久6年4月15日 26吾妻鏡(里見義成が源頼朝の石清水八幡宮参詣に供奉する)
建久6年5月20日 27吾妻鏡(里見義成が源頼朝の四天王寺参詣に供奉する)
建久6年8月16日 28吾妻鏡(里見義成が鶴岡八幡宮放生会で流鏑馬の射手に選ばれる)
建久8年3月23日 29源頼朝善光寺御参随兵日記(里見義成・同五郎が頼朝の善光寺参詣に供奉する)
建仁元年 30鎌倉年代記(里見義直が京都守護に配置される)
元久元年4月13日 31明月記(里見義成が伊賀国の国司に任じられる)
元久2年正月30日 32関東御教書写(関東御教書写に板鼻八幡宮預所安達景盛が安居頭役をつとめたことがみえる)
承久3年5月20日 33承久兵乱記(里見義直が北条時房・同泰時に従って京都攻めに出陣する)
文暦元年11月28日 34吾妻鏡(里見義成が没する)
寛元2年5月11日 35平戸記(源(里見カ)氏義が掃部権助に補任される)
宝治2年8月15日 36吾妻鏡(里見義継が将軍藤原頼嗣の鶴岡八幡宮放生会参列に供奉する)
宝治2年閏12月11日 37吾妻鏡(将軍藤原頼嗣が足利義氏邸を訪れる。この時、里見義継が引物の馬を牽く)
建長3年7月8日 38石造不動明王胎内銘(源(里見カ)氏義が石造不動明王を造立する)
正嘉2年3月1日 39吾妻鏡(将軍宗尊親王の二所参詣に永野次郎太郎が供奉する)
弘長元年12月 40阿弥陀如来銘(八幡荘居住の友澄入道らが阿弥陀如来像を造立する)
文永5年2月10日 41梵鐘銘(榛名巌寺に鐘が奉納される)
建治元年5月 42六条八幡宮造営注文写(里見氏が京都六条八幡宮造営のため銭を寄進する)
弘安元年閏10月26日 43北条時宗下知状(鎌倉幕府が平常盛に新田重俊法師の譲状によって安房国岩糸保などの地頭職を安堵する)
弘安5年4月 44大蔵省下文案(長門国員光保地頭里見信重が年貢を納入しないため訴えられる)
正応年間 45諏訪大明神絵詞(西上野の市で上野守護代従者と信濃国御家人小諸太郎の下部らが争う)
永仁6年12月25日 46上野国神名帳写(総社神社神主赤石中清によって、「上野国神名帳」が書写される)
正安2年11月22日 47浄阿上人行状(浄阿上人が板鼻で他阿弥陀仏に出会う)
正安3年8月 48宴曲抄(宴曲抄に板鼻がうたわれる)
元亨2年10月11日 49市河盛房譲状(市河盛房が大井田女子に所領を譲る)
元亨3年2月18日 50榛名神社鉄灯籠銘(榛名神社に鉄灯籠が造立される)

2 南北朝時代
正慶2年 51楠木合戦注文(里見一族・飽間一族が楠木正成の籠もる千早・赤坂城攻めに動員される)
正慶2年5月8日 52太平記・53神明鏡・54梅松論(里見義胤が新田義貞の挙兵に加わる)
正慶2年5月18日 55太平記(義貞軍が鎌倉に到着する。その中に里見氏がみえる)
正慶2年5月21日 56太平記(新田義貞が太刀を海中に投げて海退を願う。里見氏ら義貞の下知によって鎌倉に乱入する)
建武元年8月29日 57某氏政打渡状(某(里見カ)氏政が別符幸時に佐貫御厨内羽■継郷を渡す)
建武2年11月19日 58太平記(新田義貞が足利尊氏追討のため出陣する。その中に里見伊賀守がみえる)
建武2年11月28日 59山内首藤通継譲状(山内通継が里見土用靏丸を養子に取り、所領を譲る)
建武3年正月7日 60太平記(新田義貞が大渡に出陣する。里見氏がこれに従う)
建武3年正月9日 61太平記(後醍醐天皇が東坂本へ移る。新田義貞が里見氏とともにこれに従う)
建武3年2月6日 62太平記(新田義貞が足利尊氏と摂津豊嶋河原に戦う。里見氏ら義貞に従う)
建武3年2月7日 63色部高長軍忠状案(里見輔阿闍梨重慶の侍が越後島崎城で捕らえられて討たれる)
建武3年4月23日 64佐野義綱軍忠状写・65佐野安房一王丸軍忠状写(板鼻において新田勢と足利勢が戦う)
建武3年5月25日 66太平記(新田義貞が足利尊氏を摂津で迎え討つ。里見氏らが義貞に従う)
建武3年5月27日 67太平記(後醍醐天皇が比叡山に逃れる。新田義貞とともに里見義益が供奉する)
建武3年10月10日 68太平記(新田義貞が比叡山より北国へ落ちる。里見義益らがこれに従う)
建武3年11月 69実廉申状断簡(実廉が申状を認め、その中に越後国守護代里見伊賀五郎がみえる)
建武4年正月11日 70太平記(里見伊賀守が瓜生一族らとともに金ヶ崎城の後詰に向かい、討ち死にする)
建武4年3月6日 71太平記(金ヶ崎城が落ち、新田義顕・尊良親王らが自害する。里見時義がこれに従う)
建武4年11月2日 72執事高師直奉書(足利尊氏が上杉憲顕に八幡荘などを安堵する)
暦応元年7月2日 73太平記(新田義貞が斯波高経の拠る足羽城を攻める。この時里見氏らが従う)
暦応2年 74太平記(吉野吉水院の宗信が南朝に味方する武将の名をあげ、その中に里見氏がみえる)
暦応4年10月 75宝塔銘(榛名山座主快忠が宝塔を造立する)
貞和元年8月29日 76園大暦(里見義宗が足利尊氏の天竜寺供養に随兵として供奉する)
貞和5年8月12日 77太平記(足利直義と高師直が対立する。里見義宗が直義方につく)
観応2年正月21日 78得江石王丸代長野季光軍忠状(里見彦七が得江氏を率いて能登羽田城を攻める)
文和元年閏2月16日 79南宗継奉書案(室町幕府が上野国守護宇都宮氏綱に淵名荘半分を大嶋義政に沙汰付けするよう命じる)
文和元年5月9日 80今川範国施行状(足利尊氏が頼印を榛名神社の執行職に補任し、寺領を安堵する)
文和元年6月9日 81得田章真代斉藤章房軍忠状写(里見左京亮が得田氏を率いて能登国木谷・師子頭・三角山城などを攻める)
文和元年11月10日 82足利尊氏御内書(足利尊氏が治部卿法印頼智を榛名神社の座主職に補任する)
文和4年3月 83得田章名軍忠状写(里見左京亮が得田章名の軍忠の証人となる)
延文元年7月28日 84頼智供僧職譲状(頼智が頼印に鎌倉の明王院鎮守供僧職を譲る)
延文3年12月22日 85宝篋院殿将軍宣下記(里見兵庫助らが足利義詮の将軍宣下のための禁裏伺候に供奉する)
延文4年7月 86太平記(懐良親王が大宰府へ向かう。里見十郎がこれに従う)
貞治2年12月29日 87鎌倉公方足利基氏御判御教書写(鎌倉公方足利基氏が淵名荘花香塚実相院方の下地を満行寺執行頼印に渡すよう上野国守護上杉憲顕に命じる)
貞治3年正月16日 88上野国守護代長尾景忠打渡状写(上野国守護代長尾景忠が実相院方の下地を頼印代に渡す)
貞治3年正月23日 89上野国守護上杉憲顕寄進状(上杉憲顕が円覚寺正続院に八幡荘鼓岡村半分を寄進する)
貞治3年正月28日 90上野国守護上杉憲顕書下・91上野国守護代長尾景忠書状(上杉憲顕が寄進地を円覚寺雑掌に渡すよう長尾景忠に命じる。景忠はそれを安野四郎入道に命じる)
貞治4年10月8日 92鎌倉公方足利基氏近習連署奉加帳(鎌倉公方足利基氏の近習らが六波羅密寺へ馬一疋ずつ寄進を行う)
応安元年 93太平記(宇都宮氏綱の臣芳賀禅可が上杉憲顕を八幡荘板鼻で待ちうける)
応安4年閏3月29日 94上野国守護上杉憲春遵行状写(上野国守護上杉憲春が守護代長尾孫四郎に榛名神社の座主職を頼印に沙汰付るよう命じる)
応安7年9月10日 95上野国守護上杉憲春披露状(上野国守護上杉憲春が榛名神社の執行職について頼印の申請により文書紛失を披露する)
永和4年5月中旬 96大般若経奥書(榛名町白岩の長谷寺所蔵の大般若経が秀達によって書写される)
康暦元年閏4月13日 97鎌倉府政所執事奉書・98鎌倉府奉行人遵行状(鎌倉府が安房国岩井不入計半分を鶴岡八幡宮供料とし、頼印に預け置く)
康暦元年12月23日 99鎌倉公方足利氏満御判御教書写(足利氏満が頼印に安房国岩井不入計の支配を認める)
永徳元年10月7日 100鎌倉公方足利氏満御判御教書(足利氏満が頼印を武蔵国太田荘内慈恩寺の別当職に補任する)
永徳元年10月27日 101某宗重孝打渡状(鎌倉府が頼印に慈恩寺別当職を渡すように命じる)
永徳元年11月18日 102鎌倉公方足利氏満御判御教書(鎌倉公方足利氏満が鷲城陥落について頼印の祈■の功をほめる)
永徳元年12月13日 103鎌倉公方足利氏満御判御教書(鎌倉公方足利氏満が下野鷲城以下の城の落城について頼印の祈■の功をほめる)
永徳2年4月15日 104鎌倉公方足利氏満御判御教書(足利氏満が小山義政の没落について頼印の祈■の功をほめる)
永徳3年4月11日 105鎌倉公方足利氏満御判御教書(足利氏満が頼印の申請により武蔵国太田荘花積郷内御厩瀬渡と船を保全するよう命じる)
至徳2年7月29日 106室町幕府管領斯波義将奉書(室町幕府が、道快が頼印に預け置いた極楽寺本尊・聖教・道具などを、返還させるよう命じる)
至徳2年12月25日 107鎌倉公方足利氏満安堵状(足利氏満が道快の譲りによって永福寺別当職を頼印に安堵する)
嘉慶元年7月 108頼印申状案(頼印が祈■によって下野鷲城などを落城させたことを述べ、恩賞を求める)
嘉慶2年2月28日 109頼印譲状(頼印が明王院鎮守春日大明神供僧職を頼俊に譲る)
嘉慶2年2月28日 110頼印譲状写(頼印が六ヶ所の供僧職を相覚に譲る)
明徳元年12月13日 111木部政頼寺領安堵状写(木部政頼が越生報恩寺に寺領を安堵する)

3 室町時代
応永元年7月2日 112鶴岡事書日記(頼印が執行職の時に設置した鶴岡八幡宮座不冷壇所の火鉢が破れる)
応永3年7月23日 113室町幕府管領斯波義将施行状(室町幕府が上杉憲定に八幡荘などの所領を安堵する)
応永4年7月5日 114新田某軍勢催促状(新田某が中野中務少輔に信濃国志津間地頭職を安堵する)
応永4年8月5日 115八幡宇佐宮御託宣集(権大僧都快位が長野本郷増長寺で板鼻八幡宮所蔵の「八幡宇佐宮御託宣集」を書写する)
応永8年正月28日 116新田某安堵状(新田某が日枝神社神主源重持に所領を安堵する)
応永10年正月16日 117上杉憲定寄進状(上杉憲定が明月院に長野郷内西柴村半分などを寄進する)
応永23年6月3日 118上杉憲基寄進状(上杉憲基が明月院に長野郷内簸輪本郷賀嶋左衛門太郎跡を寄進する)
応永23年 119鎌倉大草紙(里見氏らが岩松満純に対抗して新田義宗の子兵部卿を擁立する)
応永23年12月29日 120鎌倉公方足利持氏御教書(足利持氏が里見刑部少輔の注進によって池沢忠藤の忠節をほめる)
応永24~28年3月28日 121鎌倉公方足利持氏書状(鎌倉公方足利持氏が木部道金に榛名寺俗別当職と寺領を安堵する)
応永30年8月16日 122康富記(里見伊勢守が上杉常誓に同道して関東に下る)
応永31年5月晦日 123上杉憲実寄進状(上杉憲実が鶴岡八幡宮に長野郷内東荒浪村の替地を寄進する)
応永32年7月5日 124満済准后日記(足利義持が佐竹氏の内紛に和睦を命じる。この日、満済はその書状の案文を見る)
応永33年11月28日 125新田某安堵状(新田某が長沼宗千に下野国長沼荘地頭職などを安堵する)
応永34年5月晦日 126鎌倉公方足利持氏御教書写(足利持氏が里見刑部少輔の注進によって石川三郎左衛門の忠節をほめる)
正長元年3月6日 127鎌倉公方足利持氏感状写(足利持氏が里見刑部少輔の注進によって溝井六郎の依上城における戦功をほめる)
永享元年5月26日 128鎌倉公方足利持氏書状(足利持氏が石河中務少輔に里見刑部少輔に従って出陣することを求める)
永享10年9月6日 129鎌倉府禁制(円覚寺正続院領の八幡荘鼓岡に軍勢による乱暴狼籍を止める禁制が出される)
永享11年2月10日 130永享記(足利持氏・満貞が誅せられ、満貞馬廻りの里見治部少輔も討たれる)
永享12年12月6日 131上杉憲実書状(上杉憲実が安保宗繁に長尾景仲らとともに板鼻へ着陣するよう伝える)
嘉吉元年4月16日 132鎌倉大草紙(結城城への総攻撃が行われ、里見修理亮が討ち死にする。また、長野一族が参陣して分捕首をあげる)
文安5年頃 133松陰私語(長野入道の宿所において長尾景仲が関東再興について何事か申し延べる)
宝徳2年 134鎌倉大草紙(里見義実が上総半国を従えて鎌倉に進出する)
享徳4年正月21日 135鎌倉大草紙(武蔵分倍河原合戦で成氏方の里見氏らが討ち死にする)
康正元年12月3日 136鎌倉大草紙(成氏についた里見氏らが騎西城を攻める)
康正2年7月26日 137康富記・138法恩寺年譜(鎌倉で里見某が討ちとられ、首級が京都へ送られる)
文明3年9月17日 139将軍足利義政感状写(将軍足利義政が上杉顕定の注進により、長野左衛門尉の忠節をほめる)
文明5年11月10日 140管領細川勝元副状(室町幕府が木部隼人佑の伊豆・上野の知行分を安堵する)
文明9年5月8日 141松陰私語(武蔵針谷原合戦で長尾景春方についた長野為兼が討ち死にする)
文明18年10月17日 142北国紀行(尭恵が伊香保から榛名湖を訪れて歌を詠む)
文明19年9月 143北国紀行(尭恵が長野氏の陣所に小野景頼を訪問する)
長享2年10月6日 144長禄二年以来申次記(将軍足利義尚の申次に里見尚冬がみえる)
明応元年 145長年寺縁起并由来記(長野業尚が長年寺を開基する)
明応3年霜月 146神道集(『神道集』巻第三が書写され、春名満行権現のことがみえる)
明応7年頃 147園塵第三(猪苗代兼載が上杉顕定亭・木部隼人佐家などで発句を詠む)
文亀2年8月12日 148曇英恵応印可状(曇英恵応が元光らに印可を与える)
文亀2年8月28日 149談柄(上杉顕定が板鼻海竜寺において母の十三回忌仏事を行う)
文亀2年8月吉辰 150曇英恵応定書(長年寺曇英恵応が元光・裔正・方育に定書を与える)
永正元年9月27日 151松陰私語(武蔵立川原合戦が行われ、上杉方の長野房兼らが討ち死にする)
永正元年9月 152曇英恵応壁書(曇英恵応が長年寺に壁書をかかげる)
永正元年10月14日 153日域洞上諸祖伝 巻之下・154日本洞上連灯録・155延宝伝灯録(長年寺を開基した曇英恵応が没す)
永正6年10月1日 156東路の津登(柴屋軒宗長が長野氏のもとを訪れ、連歌を興行する)
永正9年6月 157上杉憲房禁制(上杉憲房が長年寺に禁制を出す)
永正9年10月 158長野憲業壁書(長野憲業が長年寺に壁書を出す)
永正10年4月吉日 159長野憲業立願状(長野憲業が大戸城の攻略を祈念して巌殿寺に百疋の地を寄進することを約束する)
永正11年4月1日 160上杉憲房制札(上杉憲房が榛名神社に制札を出す)
大永2年3月 161平某制札写(平某が長年寺に禁制を出す)
大永5年 162喜連川判鑑(里見義弘が生実御所足利義明に従う)
大永7年11月17日 163長野方斉書状(長野方斉が総社蒼海城を攻めるにつき徳雲軒性福に協力を求め相互に助けあうことを誓う)
大永7年12月2日 164徳雲軒性福条書写(徳雲軒性福が長野氏に総社蒼海城攻めの手引きを行う)
大永7年12月16日 165長尾顕景書状・166長尾景誠書状(長尾顕景・同景誠が越後の長尾為景に援助を求める。その時、長年寺の長老についてふれる)
享禄元年正月24日 167雙林寺伝記(白井城主長尾景誠が殺害される。長野業正(政)が白井へ赴き、総社長尾景房を後嗣とする)
天文2年2月9日 168快元僧都記(長野宮内大輔・安中宮内少輔・飽間右衛門大夫・依田右衛門大夫・諏訪左馬助らが鶴岡八幡宮造営の勧進に応じる)
天文4年4月 169長野業政制札(長野業政が榛名山祭礼の町に制札を下す)
天文11年11月15日 170武田信玄書状写(武田信玄が長野業政に書状を送る)
天文15年4月20日 171上杉憲政書状写(上杉憲政が原内匠助の討ち死にを悼み、子長命丸に感状を与える)

4 戦国時代
天文21年 172仁王経科■見聞私奥書(上杉憲政が北条氏康に攻められ平井城を退去する)
弘治3年4月26日 173長純寺記録(長純寺が再建される)
弘治3年8月 174石苔(遊行上人体光が「石苔」をまとめる。その中に長野氏のことがみえる)
永禄2年2月24日 175武田信玄書状(武田信玄が長野業政に服属を求める)
永禄3年9月上旬 176雙林寺伝記(長尾景虎が上杉憲政を伴って関東に入る。長野業政らがこれに内通する)
永禄3年10月2日 177正木時茂書状写(正木時茂が長尾景虎(上杉謙信)に書状を送り、長野氏の動向について述べる)
永禄3年 178関東幕注文(上杉憲政・長尾景虎の下に集結した武将名と陣幕紋の注文がつくられる)
永禄4年2月 179面頬銘(八幡荘住の成重が面頬を作る)
永禄4年4月8日 180足利義氏書状写(足利義氏が長野業政に書状をよせる)
永禄4年6月10日 181近衛前嗣書状(近衛前嗣が長野業政に人質を出すよう申し付たことを上杉謙信に伝える)
永禄4年6月21日 182長野業政木像背銘(長野業政が没する)
永禄5年2月28日 183須田栄定書状(長野氏業が吾妻の斉藤氏の申し出を上杉氏にとりつぐ)
永禄5年9月22日 184武田信玄書状写(武田信玄が浦野新八郎に長野氏旧領から所領を与える)
永禄5年11月11日 185武田信玄書状写(武田信玄が浦野新八郎に箕輪領の内半田跡を与える)
永禄6年9月18日 186武田信玄書状写(武田信玄が宇都宮広綱に箕輪などを攻めたことを伝える)
永禄6年9月晦日 187長野氏業書状(長野氏業が赤城神社神官奈良原氏に河西が乱中であることを伝える)
永禄6年12月5日 188武田家高札(武田家が長年寺に軍勢等の「乱妨狼籍」を禁ずる高札を下す)
永禄6年12月9日 189甘利昌忠書状写(武田信玄が箕輪城を攻め、この日木部に着陣する)
永禄7年6月25日 190上杉謙信書状(上杉謙信が富岡重朝に長野氏業の案内により来月八日に信州に攻め入ることを伝える)
永禄8年2月吉辰 191武田信玄願文・192武田信玄願文(武田信玄が箕輪城などの落城を祈願する)
永禄8年3月16日 193永禄日記(箕輪長野家中の室田の田中隼人佐が忍へ赴く途中、長楽寺に泊まる)
永禄9年5月8日 194武田信玄書状(武田信玄が、浦野中務少輔が室田に放火し、長野三河入道らを討ち捕らえたことをほめる)
永禄9年6月22日 195武田家朱印状(武田信玄が小暮弥四郎に本領安堵を約束する)
永禄9年9月10日 196武田家高札(武田家が榛名神社に軍勢の「濫妨狼藉」を禁ずる高札を下す)
永禄9年9月10日 197武田信玄書状写(武田信玄が、浦野中務少輔が敵方に放火し、多数を討ち捕らえたことをほめる)
永禄9年 198上杉謙信書状(武田信玄が箕輪に在陣して長野氏を攻める)
永禄10年3月7日 199受連覚書(長年寺住持受連が覚書をしたためる)
永禄10年5月5日 200武田家朱印状(武田家が安中丹後守に長野氏旧領のうち二十貫文を与えることを約束する)
永禄11年4月28日 201武田家朱印状写(武田家が依田新左衛門尉に屋敷分として三十貫文の地を与える)
永禄11年8月28日 202武田家定書(武田家が外郎源七郎に松井田に移ることによって毎年八幡郷蔵納の籾百俵を与えることを約束する)
永禄11年 203武田家朱印状(武田家が八幡八幡宮の祭祀に関し何事か指示する)
元亀3年正月23日 204武田家朱印状(武田家が戸榛名神社の神木の切り取りを禁じる)
元亀3年閏正月9日 205武田家制札(武田家が長年寺に制札を下す)
天正2年正月9日 206上杉謙信書状(上杉謙信が徳川家康の家臣榊原康政に西上州に出陣することを伝える)
天正2年2月7日 207上杉謙信書状写(上杉謙信が徳川家康の家臣酒井忠次に再び西上州に出陣することを伝える)
天正2年3月15日 208石川数正書状写(徳川家康の家臣石川数正が村上国清に上杉謙信の西上州侵攻に応じて出陣することを伝える)
天正3年12月23日 209某朱印状(某が戸榛名神社の神領を安堵する)
天正4年2月23日 210武田家朱印状(武田家が戸榛名神社の神領を安堵し、社殿の造営を認める)
天正4年4月5日 211武田家定書(武田家が長年寺に普請役免除などの定書を下す)
天正4年4月5日 212武田勝頼定書(武田勝頼が存恵和尚の長年寺入寺を安堵する)
天正4年11月20日 213武田家定書(武田勝頼が大井小右兵衛尉に本郷などで七十九貫文余の所領と籾七百四十三俵余を宛て行う)
天正6年5月10日 214最上義光判物写(最上義光が里見越後守の忠節をほめ、所領を与えることを伝える)
天正8年3月吉日 215長谷寺観音堂棟札(長谷寺の観音堂が完成し、棟札が納められる)
天正8年8月5日 216武田家定書写(武田家が浦野民部左衛門に菖蒲沢以下五ヶ所を与える)
天正9年3月23日 217真田昌幸禁制(真田昌幸が榛名神社に禁制を出す)
天正10年2月 218成田家分限帳(成田家分限帳が作成され、その中に里見大隅・長野一孤斉らがみえる)
天正10年6月22日 219北条家朱印状(北条家が八幡郷における軍勢の「濫妨狼藉」を禁じる)
天正10年9月9日 220徳川家康宛行状(徳川家康が津金胤久に三ノ倉郷などの所領を与える)
天正10年9月22日 221北条家禁制(北条家が長年寺に諸役免除などを認めて禁制を下す)
天正10年9月28日 222徳川家康判物(徳川家康が真田昌幸に長野氏旧領を与える)
天正11年2月13日 223北条氏邦定書(北条氏邦が榛名神社に定書を下す)
天正12年9月27日 224内藤昌月印判状(内藤昌月が外榛名神社の造営のため所領内で勧進を許す)
天正13年7月15日 225上杉景勝起請文案(上杉景勝が真田昌幸に誓紙をしたため、長野氏旧領を与えることを約束する)
天正13年8月吉日 226兜銘(八幡荘住の憲国が兜を作る)
天正16年12月27日 227猪俣邦憲榛名峠城法度(猪俣邦憲が榛名峠城の番替の法度をつくり、林治部左衛門に伝える)
天正18年4月24日 228上杉景勝書状(上杉景勝が小森沢政秀に板鼻を確保するよう命じる)
天正18年6月2日 229前田利家書状写(前田利家が上野平定の状況を秀吉側近の安威守佐に伝える)
天正19年2月7日 230斉藤定盛申状(斉藤定盛が八幡宮の由緒をしたためる)
天正19年2月24日 231徳川家康印判状(徳川家康が八幡神主らに■燭の到来に感謝の意を表わす)
慶長元年4月29日 232上野日月供名簿一(室田郷の下田五郎兵衛が父母の菩提のため高野山清浄心院に供養を依頼する)
慶長13年4月17日 233里見忠重判物(里見忠重が長伝寺に板鼻で二十石の寺領を寄進する)
慶長19年9月7日 234榛名山巌殿寺法度(天海僧正が榛名山巌殿寺に三ヶ条の法度を下す)
元和2年9月28日 235中村平宜・大戸平登連署寄進状(■津甚平信直が榛名神社に所領を寄進する)
元和3年12月24日 236■津信直寄進状(■津信直が榛名神社に所領を寄進し、祈■を行うよう命じる)

5 年末詳
 237 某入道覚書
 238 真田信幸定書
 239 川久保信俊寺進状
 240 井伊直政書状
 241 某制札
 242 頼印書状写
 243 上杉憲政書状
 244 方育署名
 245 曇英恵応禁制断簡
 246 某所領注文
 247 殿中以下年中行事
 248 辻加賀守高名覚書写
 249 旦那名字注文
 250 実報院諸国旦那帳
 251 永享以来御番帳
 252 新田金山伝記

第3節 参考資料
1 中世歌謡
 253 内裏名所百首
 254 藤原信実朝臣集
 255 順徳院御集
 256 詠歌一体
 257 菊葉和歌集第三
 258 道堅法師百首
 259 春夢集
 260 隣女和歌集巻三
 261 豊原統秋自歌合
 262 夫木集
2 里見氏系図
 263 尊卑分脈
 264 妙本寺所蔵源氏系図
 265 清和源氏系図
3 新田正伝記
 266 新田正伝記
4 長野氏系図
 267 長年寺所蔵
 268 長野正弘氏所蔵
 269 長野稔氏所蔵
5 簑輪軍記
 270 簑輪軍記
6 白岩山長谷寺縁起
 271 白岩山長谷寺縁起
7 浜名氏本山修験大坊系図
 272 浜名氏本山修験大坊系図
8 榛名山巌殿寺役中諸用記
 273 榛名山巌殿寺役中諸用記

第4節 編年によらない資料
 274 頼印大僧正行状絵詞
 275 春日神社社務中臣祐光請文

第3章 中世の金石文

第1節 木造彫刻・金工石・石造物の概要
1 調査方法・編集方法
2 木造彫刻の概要
3 金工品の概要
4 石造物の概要

第2節 木造彫刻
1 白岩長谷寺の仏像
木造十一面観音像(本尊)
木造十一面観音像(前立)
木造不動明王立像
木造毘沙門天立像
木造狛犬像
2 中里見光明寺の仏像
木造阿弥陀如来立像
木造聖観音立像

第3節 金工品
1 榛名神社の金工品
弘安4年銘の御正体
十一面観音坐像の御正体
十一面観音坐像の御正体
菩薩坐像の御正体
鉄灯籠
梵鐘
2 白岩長谷寺の金工品
鉄製鋸

第4節 石造物
1 五輪塔
概要
下室田長年寺の五輪塔
中室田旧吉祥寺の五輪塔
本郷後側島方家墓地の五輪塔
五輪塔一覧
2 宝[きょう]印塔
概要
本郷安養寺跡の宝[きょう]印塔
中里見光明寺の宝[きょう]印塔
宝[きょう]印塔一覧
3 宝塔
概要
榛名山墓地の宝塔
白岩長谷寺の宝塔
本郷安養寺跡の宝塔
宝塔一覧
4 板碑
概要
自然石板碑
板碑一覧
5 その他
笠塔婆
石幢
層塔
石仏

第4章 中世の城館

第1節 中世の館(屋敷)と城
中世以前の館
中世の館の姿
館の出現
地域域の発展
城の普及と発展
縄張りの進歩

第2節 用語の解説
城館の形式
地形による分類
構造による分類
防禦構想による分類
機能による分類
城館用語

第3節 榛名町の城館
雨堤の砦
原城
湯殿山城
榛名山城(滝の平城)
芦田小屋
立足城
大久保の砦(石井讃岐館)
松山城
武石衛門屋敷と水路道
室田の内出
駒寄の砦
宮沢の砦
神戸の砦
遠北の陣城
高浜の砦(坂上城)
白岩の砦
七曲りの砦(日輪城)
御門城
三ツ子沢の砦
蕨平の砦
上里見城
御嶽山の砦
里見館
雉郷城
小五郎の砦
しし(獅)土手
上大島館
鷹留城
その他
 

掲載日 平成29年6月12日 更新日 平成29年8月2日
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